先日の快晴のもと、仏教研修として高田本山から伊賀上野を抜け、京都方面へと向かう途中となる笠置町、そして木津川へと行ってまいりました。
まずは「笠置寺」です。街道から山に入るともうそこからは対向車とすれ違うどころか、急坂をスリップでもしようものなら車ごと谷へ落ちてしまいそうな険しい道を10人乗りの車がエンジン音を響かせながら登ってゆきます。
着いたところは駐車場になっていて広々としています。そこから見下ろすと、どれほど登ってきたのかがよくわかります。
ここは「天武天皇勅願所・後醍醐天皇行在所」として知られるところですが、私たち真宗、浄土宗の者からすると、ここ笠置寺は解脱坊貞慶(げだつぼう じょうけい)という僧がいたところとして教えられてきました。この貞慶という方は非常に厳格な僧侶でその優秀さから学僧として将来を嘱望されていたが、堕落した僧侶達に落胆し、こんな山奥の寺に隠遁されました。
(笠置寺のHPです)http://www.kasagidera.or.jp/kasagidera.html
当時、京都では法然という僧が「専修念仏」を説き広め、口に念仏を称えるだけで極楽へと往生できるという教えが一大ブームを巻き起こしておりました。そうした流行をしった貞慶は、そんなものが仏教であるわけがないとして「興福寺奏状」という意見書を朝廷に提出し、専修念仏を禁止にするよう求めたのです。この「興福寺奏状」もあってか、とうとう法然上人以下、名だたる弟子たちが流罪となったのです。親鸞聖人もその一人でした。
さてここ笠置寺で必ずお参りしたいのが画面左手の白い岩壁。うっすらと枠取りされているのがわかりますか?
本来はここに弥勒磨崖仏として弥勒菩薩さまが刻んであったそうですが、兵火によりその姿ははがれ堕ちてしまい目視することができません。
とにかく大きいです。手前に傾斜した岩盤の上によくぞ刻んだものだと思います。
その数メートル奥には「虚空蔵菩薩」のお姿が、こちらはきれいに残っております。
大きな岩の表面を数センチだけすきとるようにして整えて、そこに線描でもって丁寧に菩薩様の姿を刻み込んであります。
どのようにその下書きをここへ写したのかわかりませんが、私が想像するには原寸大の大きな紙に下書きをして、その紙をこの岩面貼り付けて当たりをとったのではと思います。
このあと、木津川市へと足を延ばすのですが、それはまたのちほど。