豊橋市牛川町 真宗高田派 正太寺 お念仏のお寺

まいてら お寺のある生活

未来の住職塾 本科は、お寺の永続を導く寺業計画を策定し、その実現を力強く支援します。

ブログが引っ越しました。

2018年06月27日

この度、正太寺ホームページがリニューアルするに際し、ブログ「悟道の道」も移動することになりました。
以下が新しいアドレスです。是非訪ねてみてください。


http://shotaiji.com/category/godonomichi/


こちらのブログはこのまま残しておきます。  


Posted by 正太寺 at 10:42Comments(0)

お寺で婚活・・2

2018年06月23日


前回、好評盛況で開催された「縁結び・寺カフェ」
何名もの方にお断りすることとなり、非常に心を痛めました。
そして、第二弾を企画しました。是非、ご検討ください。

日 時:2018年9月16日(日)  17:00開始・・・20:00終了予定 (受付16:30より)

会 場:正太寺本堂および座敷

条 件: 25歳から40歳までの独身男女
     真面目に結婚相手を探している方
     お寺が好きな方(お檀家でなくとも誰でもOKです)

参加費:男女とも3,000円(当日受付時に徴収します)

申込み方法:(氏名・住所・生年月日・携帯番号をお伺いします)
        メールshotaiji@gmail.com
        電話0532-52-7780

締切り:9月4日(※必ずご本人様がお申し込みください)

募集人数:男性13名・女性13名 (先着順にて受け付けます。以降はキャンセル待ちとします)

服 装:清潔感のある服装でお越しください。

お問い合せ:090-8137-6011(住職携帯)

前回の様子もご覧ください。
http://shotaijiblog.dosugoi.net/e1031404.html    

  


Posted by 正太寺 at 21:00Comments(0)

どうにもならなくなったら・・・。

2018年06月12日



「どうにもならぬ私が どうにかなるという 夢が破れました」

お寺の門の脇に掲示板があります。六月にはいったので法語を更新しました。
これはどなたの言葉か分かりません。私が読んだ書籍の中の一節だと思います。備忘録に書き込まれていたものです。

「自分のことが、どうにもならないなんて、そんな情けないことでどうする!」とまず一喝されそうな言葉ですが、果たして私は自分を思い通りにコントロール出来ているのでしょうか?
明治の文豪・夏目漱石がこんな言葉を残しています。

自分以外のものを頼るほどはかないものはない。
しかし、その自分ほどあてにならないものはない。  夏目漱石



私の迷いの最深部には「我執」が横たわっているといわれます。それは自分中心の考え方であり、自分最上の価値観であり、自分が正義正当であるという歪んだ思いのことです。そうした囚われの中にありながら(その中に居るがゆえに)、自分の本当の姿を見るということは自分では不可能かもしれません。
でも現実はどうでしょうか?
自分のためでありながら、どうして勉強がおろそかになったり、ダイエットが続けられなかったり、たばこが止められなかったりしているのでしょう?
自分の心でありながら、どうしていつも明るくいられないのでしょう?どうして人に意地悪をしてしまうのでしょう?どうして自分を愛せないのでしょう?
こうしたことは誰にでも身に覚えのあることだと思います。そして「今度こそがんばろう」「出来なくても諦めずにいよう」「こんな自分だからしかたがない」といいわけをしながら生きていくことになるのでしょうね。

法語には「夢が破れた」とあります。これは挫折や失敗とは違うと思います。挫折や失敗と思っているうちは、「自分で自分をコントロールすることは可能である」という世界の中にいるわけです。それが夢だったと気づいたということは、本当の自分の姿が見えたということでしょう。
夢の中でどれほど怖かったり愉快だったりしていても、覚めてしまえばそうした思いも消えてしまいます。夢が夢と分かることが夢の覚めた時であります。

私が生きてゆく上で「どうにもならぬ」事態が発生し苦悩することがありますが、そこで一度立ち止まって考えてみましょう。
「これはどうにもならぬ事態が襲ってきた」ものなのか?
「これはどうにもならぬ私が、どうにかなると思い込んでいたことが間違いだった」ことなのか?

法語の言葉を残された方は「夢が破れた」ことを悲しんでいるとは思いません。むしろ非常な喜びとして語っている言葉だと思います。
南無阿弥陀仏。
  


Posted by 正太寺 at 13:18Comments(0)

和紙のちから

2018年05月17日

市内の展覧会の紹介です。

「掌の記憶ー和紙で暮らすー」 かのう ともみひさし(小原和紙制作ユニット)
2018年5月12日(土)~6月3日(日) ギャラリーサンセリテ (11:00~6:00) 入場無料



波打つような、雲沸き上がるような、流れるような、佇むような・・・なんとも表情豊かな屏風。
これは描かれた模様では無く、一枚一枚漉きあげられた和紙そのものなのです。


その繊細な姿をカメラではとても撮すことはできません。ただこの和紙の作られ方の手順を伺うと、その表情が一層深まるように感じます。
コウゾやミツマタを交互に漉きあげ、そこに泥を加えることで色を付け、水滴を落として波紋を作る・・・一点として同じものができないという。
これが愛知県小原村(現豊田市)に伝わってきた伝統技法なのだそうです。
泥を混ぜて漉きあげた和紙は調湿、保温に優れ、防火の働きも備えるという優れもの。特に小原和紙はその繊維が長く、破れにくく大変丈夫である。障子として張られたものを指で突いても凹みこそすれ、破れないという。その凹みもやがて元に戻る回復力をも備えているという。
ただ、こうした素晴らしい和紙を今に伝えている方はどんどん減っているらしく、一人でも多くの方に小原和紙の素晴らしさを知ってもらいたい。



壁面に直接貼ってあります。もちろん額装しても素敵ですし、こうして内装の一部としても和紙ならではの趣が素敵ではないでしょうか。
これらは様々な色和紙をコラージュし貼り合わせてありますが、水の中に浸しておけば一枚一枚の和紙は離れ、何度でも再利用が可能だという。


こちらも背景の大きな二枚は壁面に直接貼り付けてあります。床の間や寝室の壁などに使っても素敵だろうなあと思います。





ギャラリーサンセリテの情報はこちらhttp://www.sincerite.info/


  


Posted by 正太寺 at 10:50Comments(0)

木津川市方面へと その二

2018年05月15日

海住山寺(かいじゅうせんじ)
寺号の文字を見ないとすごい強面の名前に聞こえます。カイジュウセンジ・・怪獣戦寺?

このお寺もグイグイと山を登ったその先にありました。先の笠置寺が貞慶上人の隠遁された寺ならば、こちらはその貞慶上人が晩年を過ごされ、逝去されたところということです。確かに同じ山の上の寺とはいえ、笠置寺と比較すればこちらの方が過ごしやすかろうと思います。
こんな山の上にどうやってこの大きな五重塔を建てたのかと考えると、昔の方の力強さ、信仰心の篤さに驚くばかりです。

こちらが本堂です。十一面観音菩薩がご本尊として祀られています。たいへん柔らかな印象の仏さまを、すぐ近くまで寄って拝むことができました。

浄瑠璃寺(じょうるりじ)
こちらはゆるやかな麓に伽藍を構えるお寺です。

池をはさんで本堂と、三重塔が向かい合っています。

本堂に上がりますと、ずらりと横一列に阿弥陀如来座像が九体並んでおられ圧倒されます。
これは観無量寿経に説かれている九品往生(衆生を上の上から下の下まで九階層に分けて、それぞれに応じた救いが示されています)に対応する阿弥陀さまであります。堂内は撮影禁止ですので、写真はありません。  


Posted by 正太寺 at 23:09Comments(0)

京都 木津川市方面へ

2018年05月13日

先日の快晴のもと、仏教研修として高田本山から伊賀上野を抜け、京都方面へと向かう途中となる笠置町、そして木津川へと行ってまいりました。
まずは「笠置寺」です。街道から山に入るともうそこからは対向車とすれ違うどころか、急坂をスリップでもしようものなら車ごと谷へ落ちてしまいそうな険しい道を10人乗りの車がエンジン音を響かせながら登ってゆきます。
着いたところは駐車場になっていて広々としています。そこから見下ろすと、どれほど登ってきたのかがよくわかります。
ここは「天武天皇勅願所・後醍醐天皇行在所」として知られるところですが、私たち真宗、浄土宗の者からすると、ここ笠置寺は解脱坊貞慶(げだつぼう じょうけい)という僧がいたところとして教えられてきました。この貞慶という方は非常に厳格な僧侶でその優秀さから学僧として将来を嘱望されていたが、堕落した僧侶達に落胆し、こんな山奥の寺に隠遁されました。
(笠置寺のHPです)http://www.kasagidera.or.jp/kasagidera.html
当時、京都では法然という僧が「専修念仏」を説き広め、口に念仏を称えるだけで極楽へと往生できるという教えが一大ブームを巻き起こしておりました。そうした流行をしった貞慶は、そんなものが仏教であるわけがないとして「興福寺奏状」という意見書を朝廷に提出し、専修念仏を禁止にするよう求めたのです。この「興福寺奏状」もあってか、とうとう法然上人以下、名だたる弟子たちが流罪となったのです。親鸞聖人もその一人でした。

さてここ笠置寺で必ずお参りしたいのが画面左手の白い岩壁。うっすらと枠取りされているのがわかりますか?

本来はここに弥勒磨崖仏として弥勒菩薩さまが刻んであったそうですが、兵火によりその姿ははがれ堕ちてしまい目視することができません。
とにかく大きいです。手前に傾斜した岩盤の上によくぞ刻んだものだと思います。
その数メートル奥には「虚空蔵菩薩」のお姿が、こちらはきれいに残っております。
大きな岩の表面を数センチだけすきとるようにして整えて、そこに線描でもって丁寧に菩薩様の姿を刻み込んであります。
どのようにその下書きをここへ写したのかわかりませんが、私が想像するには原寸大の大きな紙に下書きをして、その紙をこの岩面貼り付けて当たりをとったのではと思います。

このあと、木津川市へと足を延ばすのですが、それはまたのちほど。  


Posted by 正太寺 at 20:14Comments(0)

グリーフケアのお話

2018年04月25日

昨日は雨の中、三重県の高田本山経由の岐阜県大垣別院(大谷派)へと出かけておりました。

大垣別院では大谷派の特別な法要が営まれていて、内陣の荘厳や勤行の厳かさは大変素晴らしいものでした。

今回のお目当ては酒井義一氏のお話を聞くためです。酒井氏は長年に亘りグリーフケアに関わり、その知識も経験も豊富な方です。

グリーフケアとは死別など人の別れや、病気やけがなどによる心身の不調、失業や離婚、引っ越しなどによる不安感や喪失感と、いかに対峙し対処してゆくことを言います。

酒井氏のお話は現場で出会ってこられた様々なケースを元に、グリーフケアの実際を分かりやすく語ってくれました。
そうした中から「大切な人を亡くしたとき3つの大事なこと」をここでご紹介しましょう。

1. きちんとお別れする:亡くなった人に向けて自分の気持ちを言葉にして届けるということで、具体的には亡き人宛ての手紙を書くとよいそうです。

2. 死を他人事としない:酒井氏自身が父親を亡くされた時のことを話され、父は身をもって死ぬということを教えてくれた。

3. 亡き人と出遇い直す:自分のことを言い当てる、真実なる言葉と出遇うことである、ということです。

  


Posted by 正太寺 at 23:53Comments(0)

「縁結び・寺カフェ」のご報告

2018年04月22日

昨日の快晴のもと、正太寺では婚活イベント「縁結び・寺カフェ」第一回が催されました。
男女14名ずつ(当日になってのキャンセルもありましたので)が続々とやって来ます。


まず本堂で仏さまへのご挨拶として、真宗で一番短いお勤め、「重誓偈」をみんなで勤めました。意外なことに、一緒に声を出してくださる方も幾人かいらっしゃり、私としてはとても嬉しいスタートでした。それから私が短い法話として「縁」についてお聞きいただき、いよいよ各人1対1での対話の時間となります。


会場を座敷に移し、男女一組となって、五分間のコミュニケーションタイムです。それまで皆、じっと黙っていた28人が、私の「どうぞ、始めてくださーい」の一声で一斉にしゃべりはじめたので驚きました。みんな積極的な姿勢で参加してくださっていることに感動!
五分経ち、合図の鐘を「カーン」と鳴らすと会場のあちこちでクスクスと笑い声が。お寺ならではと思って用意したのが、功を奏して場を和ませてくれています。
男性が椅子を一つずつずらして次の相手と又、五分間のおしゃべり。これを繰り返して一周します。


会場を本堂に戻して、フリータイムの会話の時間。コーヒーやジュースなど飲み物の用意とケーキやパンなども並べて、即席のカフェとなりました。ここで気になった人と更にお近づきになったのでしょうか・・・。

最後にそれぞれに渡されている三枚のカードに、自分の連絡先と、意中の人の名前を記入してスタッフが回収。
宛名ごとに振り分けて、各人宛の封筒にいれます。何枚もカードを受け取る人もあれば、一枚も届かない人も残念ながらいらっしゃいます。
スタッフとしても切ない時です。

こうして初めての婚活イベントは幕を閉じました。

そして一晩明けて今日のこと。お寺に突然訪ねてこられる方がありました。昨日参加された男性です。
なんでもお礼を言いたくて寄ったということです。実は彼の元にはカードが一枚も届かなかったそうなのですが、彼が託した三枚のカードのうちの1人からメールが届いたということです。それが彼には望外なことだったようで、一言お礼を言わずにはおれなかったと、仕事の途中に寄ってくださったのです。
私も本当に幸せで嬉しい気持ちになりました。「どうか、良い縁が育ってゆきますように」
  


Posted by 正太寺 at 22:34Comments(0)

満堂の法要でした。

2018年03月27日


24日・25日と「春季永代経法会」が勤まりました。天候にも恵まれ、両日とも満堂となるほどお参りにお越し下さりました。
ご講師の朝戸臣統先生のお話も「分かりやすい」「優しい」「面白い」とすこぶる好評で、「親戚の者にも聞かせてあげたかった」と仰る方もありました。私も聞いていて、何でも無い家族のことなど世間話のようでいて、そこからきちんと仏さまのお心に対比させたり、私たち誰もが身に覚えのあることと気づかせたりと、全く無駄のない展開で感服いたしました。
当然、来年の春季永代経にも来ていただけるようにお願いしました。


  


Posted by 正太寺 at 20:30Comments(0)

本堂が一層快適になりました。

2018年03月23日

本堂利用して法事を営まれる方が増えて参りまして、お茶の用意や冷暖房の設置など進め、遂にこのたび本堂に付属する形で「お手洗い」を作りました。

本堂に上がられて左手にあたります。扉の前には衝立を置く予定です。(ただ今、納品待ち状態)

中はこんな具合です。同様の個室がもうひとつあります。どちらも洋式便器のウォシュレットタイプです。これなら女性もためらいなくお使いいただけることと思います。


そして男性にはこのお願いをしております。是非、守ってね。住職も厳守するよう厳しく言われております・・・。(誰から?)

どなた様もお気軽にご利用下さい。
  


Posted by 正太寺 at 12:38Comments(0)