先日こちらでご紹介した「上村奈々子展」開催中のギャラリーサンセリテにて特別イベントが行われた。
「ひでおサウンドパフォーマンス 無常 無音」
ギャラリーの証明は落とされ、蝋燭の灯りだけとされ、大勢の観客はじっと耳をすませて様子を伺う。
やがて篠笛のキンと高い響きとともに彼(ひでお)が現れた。
ゆっくり、ゆっくりと移動しながら、篠笛はやがて尺八に代わり、低い風が吹くかのような音が空間を満たす。
遠くからわらべ歌が聞こえてくる。その声は谷を渡るように大きく、小さく、背景の雪山の中から聞こえてくるかのようでもある。
フランス語のささやき、悲しげな女の歌。
カチーンと竹が割れるような音がする。
揺らめく人型、座れば岩となり、立てば林となる。
一瞬が永遠のように張り詰める。
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何年振りだろうか、こうしたパフォーマンスといわれるものを拝見するのは。
パフォーマンスには舞台やコンサートとは違った、観る者を責めてくるようなはたらきを感じる。
目の前で発声する者がいれば、その分身が私の背後に回り、「聴こえているか?」とささやいてくるようだ。
床を叩く者がいれば、その影は私の足元から巻き付いてくる。
だから私はパフォーマンスを畏れる。
こんなにも何もかも吐き出してしまえるその人を。
自分が張り巡らせた自分の殻がこんなにも固くなっていることを教えてほしくなかった。