自分が何も知らないということは、少し勉強すれば誰にでもわかるはず。 福島智(東大教授)
この言葉は福島智(ふくしま さとし)という東京大学教授のものです。
この福島智という人がどういう人なのかを知ると、この言葉の意味の重みを感じていただけることでしょう。
福島智 1962年兵庫県生まれ。3歳で右目、9歳で左目を失明。18歳で失聴し、全盲ろうとなった。
視力を失い、耳も聞こえなくなるという光も音も無い世界に放り込まれた状態を、彼は「宇宙空間に独りで放り出されたような」と言っています。
その孤独感や絶望感はいかばかりか察します。
そんな時、彼の母親の機転から思わぬコミュニケーション方法が誕生します。目の不自由な人のために「点字」というものがあります。その点字を打つタイプライターには左右、3つずつのキーを両手の人差し指、中指、薬指で押さえるような仕組みになっていてます。
普段は他の人が点字をタイプライターで打ち、その打たれた点字を智さんが指で読み、その意思を知るというやり取りだったのですが、タイプライターの無いところでふと思いついた母親が智さんの手を甲を上にして差し出させたところに、自分の手を重ね、点字タイプを打つ要領で「さ と し わ か る か」と智さんの指を叩くと、それが読めたそうです。「ああ、わかるで!」と答えました。
これが後に「指点字(ゆびてんじ)」といわれるコミュニケーション方法です。
智さんは「どうして自分はこんな苦悩を経験しなくてはならないのか」と自問します。そして「理由はわからないけれど、この苦悩には何か意味があるんだ」「これは自分の将来を光らせるためにひつようなものなんだ」と考えることにしたそうです。18歳のことです。
1983年に東京都立大学に合格し、全盲ろう者として初の大学進学。金沢大学助教授を経て、2008年より東京大学教授となります。全盲ろう者として常勤の大学職員となったのは世界初だそうです。
彼は著書の中でこう語っています。
教育者には2つの陥穽(落とし穴)がつきまとっている。その一つは「自身の無知の自覚の欠如」であると。
今回紹介している文言の意味するところでありましょう。「自分が何も知らない」ということを常々自覚し忘れぬようにしなくてはいけないということです。勉強することは大事なことですが、知識を取り込むことで自分が賢くなったと勘違いしてしまうようでは、その勉強の仕方が間違っているということなのでしょう。
2つ目は「自分が子どもだった時のことをほとんど忘れてしまっている」ということ。
そして、かつて子どもだったことを、それを忘れた大人を自分たちとは異質な存在として敏感に嗅ぎ分ける能力を、子どもたちは持っていると教えています。(怖いと正直思いました。気をつけなきゃ。自分を見失ったオトナになってやしないだろうか)